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先輩たちの留学体験「マンスリーインタビュー」 VOL.92

語学留学フリープラン
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ラストチャンスの留学 得た物は予想以上に大きい!






留学期間:2007年10月〜2008年2月
参加コース:語学留学フリープラン
留学先:North Tec(ニュージーランド・ワンガレイ)

1984年生まれ。京都府出身。2007年10月よりニュージーランド・ワンガレイにある語学学校に留学し、英語を学ぶ。2008年2月に修了し、日本に帰国。


寝る間も惜しい充実した短期留学 最高の経験です!

Q:留学を決意したきっかけは?
A:
英語には以前から興味を持っていました。話せたらいいなあとは思っていましたが、自宅で教材を買って勉強するにはあまりに意思が弱すぎました。そこで「最後だから」と親に頭を下げて、数ヶ月の語学留学を決意しました。英語を話せる父は「お前の語彙力では今数ヶ月行った所で話せる様にはならない」と言われましたが、「ただ、違う文化を体験してくるのは若い方がいい」と、わがままを許してもらいました。

Q:学校を選んだ決め手は?
A:
この学校を選んだのは、必要経費の安さと日本人の少なさからでした。日本人の生徒がいないわけではありませんでしたが、同じ国の人が学校に少しだけいる、というのは、実は最適な環境だったな、と後から気づきました。先生方は優しい英語を使ってくれましたが、それでも校内や街での過ごし方のアドバイスをくれる先輩日本人が一人でもいると、最初のうちはかなり助かりました。

Q:留学する前の不安はどんなものでしたか?
A:
日本人以外の生徒ですが、韓国からの留学生や移住者たちが非常に多くいました。正直に言って、韓国や中国など、アジアのクラスメートとうまく接する事ができるかどうか、かなり不安でした。しかし彼らは日本や日本人の事を予想以上に理解してくれていましたし、文化が近いおかげもあって、逆に最も仲良くなれたのは韓国人だった様に思います。これは、この留学の中での大きな出来事のひとつでした。
また、その他、サウジアラビアやオマーンといった中東の国々、ブラジル、ドイツなど、たくさんの国の人々と、それぞれの文化について語り合えたのは、非常におもしろい経験でした。

Q:学校での授業の様子を教えて下さい。
A:
先生は現地の方の他に、アメリカ出身の先生、ロンドン育ちの先生と、色々なアクセントに触れる事ができました。アメリカ英語に慣れた僕たちにとって、イギリス英語に近いニュージーランドの英語は少し難しくはありましたが、逆に言えばそれに触れる事ができたのは素晴らしい事だと思いました。アクセントだけでなく、単語や表現にも様々な違いがあるのだと知りました。
先生の方からも「私の国ではこんな事があった」、「みんなの国ではどうなの?」といった具合に文化の交流を積極的に促してくれたので、英語だけではなく、たくさんの事を学べました。先生には本当に恵まれていたと思います。授業が楽しみで仕方なかったですし、それ以外でも自由提出の日記で好きな事を書いて添削してもらうなど、非常に親切にしていただきました。
ある午後の授業で話がそれて各国の文字の話題になった時に、先生が「もう今日授業やめてこの話続けない?」と予定を変えてしまった時には、すごい先生だなと感動しました。「話したい話題の方が『伝えたい』って思うから、英語上達の近道なんだよ」という事だからだそうです。
気をつけなければならないのは、日本や韓国の生徒は、解っていても当てられるまで発言しないタイプが多いですが、それには先生も時々少し苛立っていたようです。積極的な発言はやりすぎなければむしろ大歓迎といった様でした。

Q:留学の成果を教えて下さい。
A:
肝心の英語力ですが、語彙力もリスニングも文法も格段に伸びたにも拘らず、やはり父の言ったとおり、4ヶ月では「英語話せます」というレベルには届きませんでした。授業での発言やテストの結果に満足した後の帰り道で地元の子供に話しかけられて、何度も聞きなおさないと理解できない、という事もありました。しかし、一番感動したのは、帰国直前の2月、ハミルトンという街で開催された夏フェス(2月の夏フェスはもちろん初めてでした)で、アメリカから来た憧れのロックバンドのMCをほぼ聞き取れた事でした。最後の最後に「あーそれでもやっぱり伸びてたんだなあ」と実感できて本当に嬉しかったです。

Q:留学先であるワンガレイの街について教えて下さい。
A:
ワンガレイ(時に“ファンガレイ”と発音する事もある)という街は、人口5万人に満たない小さな街で、京都市内の便利な生活に慣れた僕にとって、最初は色々と困惑する事もありました。もちろん電車は無く、バスも少なく定刻どおりに来ることもほとんどありませんでした。また、娯楽施設や大きなショッピングセンターもあまり無い上、休日は休むのが当たり前という文化なので、「何もする事がないんだけど」と先生に愚痴を言ったりもしました。しかしそれを通じて学んだ事は「有意義な時間は自分で作る」という事でした。図書館で教材を借りてきて勉強したり、レンタカーを借りて観光に行ったり、後半は逆にその時間を満喫できた様に思います。
ワンガレイ全景

ワンガレイのバンクストリート

近くの浜辺にて

ロトルアの展望台から

ワンガレイ空港にて自家用機を給油所へプッシュバック

オークランドのスカイタワーより

ワンガレイの滝 課外授業にて

もしもワンガレイに行かれる方がいれば、できたら国際免許証を作って行かれる事をお勧めします。街の中はタクシーも多いですが、オークランドや観光地に遠出して自由に遊ぶにはレンタカーが非常に便利でした。また、長期滞在中の生徒の中には、現地で中古車(10万から30万円くらいでありました)を買う人もいました。車さえあれば、暮らすのに必要な全てと、ワンガレイの滝などのすばらしい自然とを持ち合わせた素晴らしい街だと思いました。

Q:ホストファミリーとの関係はうまく築けましたか?
A:
ホストマザーとの関係は、正直に言ってあまりよいものではありませんでした。僕の持ち物だけでなくお金まで借りて数ヶ月(帰国の前日まで)返さないという事もありました。本来あってはならない事ですが、これは彼女だけの責任ではなく、嫌な事を嫌と言わなかった僕の方にも責任があるのだと、学校の相談スタッフに言われました。おそらく僕のほうも気づかないところでかなり迷惑はかけていたはずで、色々と尽くしてくれたのだとは思いますが、このせいでどうしても好きにはなれませんでした。もしもお金を貸していなかったら、もしも約束どおり週明けに返してくれていたら、もっとよい関係が築けたはずなのに、と後悔しています。

Q:ニュージーランド人の印象を教えて下さい。
A:
彼女以外のファミリーやニュージーランドの方々は、とても親切でした。すれ違い際に声をかけてくる人たち、街で「困ってない?」と聞いてくる人たち、助け合って生きてる国なんだなあと実感しました。日本ほどせかせかと動き回ったり働いたりしない、陽気でのんびりとした人たちでした。

Q:留学を通して学んだ事を教えて下さい。
A:
実はこの留学で一番の発見は、彼らや学校での交流で感じた、「自分がいかに日本人であるか」でした。洋楽に憧れ、欧米の流行が正しいものだと思って生きてきたにも関わらず、日本という国、日本人の価値観が僕にとって快適な場所なんだと気づきました。ニュージーランドの居心地が悪かったという意味では決してありませんし、人種やそれぞれの文化の違いは、どちらが良い、正しいというものでもありませんが、確実に違いはあります。僕は今まで知らなかったこの感覚を、知識ではなく実際に感じれた事を、本当にラッキーだったと思います。

Q:最後一言お願いします!
A:
伝えたいことを伝えられないイライラや、異文化での生活は疲れましたが、得たものはそれ以上でした。もちろん4ヶ月では英語を「話せる」ところまではいけませんでしたが、文化の触れ合い、素晴らしい自然、寝るのがもったいないほどの充実した日々は最高でした。また、これから何ヶ月、何年後かにも、「あの時の留学が活きた」と言える日が来るのではないか、と期待しています。


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