IBPプログラム・グリフィス大学コース

言葉の壁をカバーするために誰よりも予習をし、自分の意見を持って授業に臨みました

留学期間:2012年3月〜2013年3月
留学先:IBPプログラム・グリフィス大学コース
インターン先:Brisbane Ethnic Music and Arts Centre(NPO)

1990年生まれ、栃木県出身。一橋大学(社会学部)4年次に、休学してプログラムに参加。インターン先はBEMAC(Brisbane Ethnic Music and Arts Centre) というNPO。大手資源開発会社から内定を獲得した。


オーストラリアで東日本大震災復興の写真展を開きました

Q:留学を決めた動機を教えてください。

A:途上国の開発に関わりたいという思いがあり、その道に進むのであれば、海外での勉強や生活を経験しておくべきだと考えていました。その後に起こった東日本大震災によって、自分が日本人であること強く自覚し、日本を客観的に見るために外に出てみたいと考えて留学を決意しました。

Q:オーストラリアを留学先として選んだ理由は?

A:日本人として海外との関わりを持つ時、アジア圏での日本の立ち位置は、今後さらに重要になってくると思っていました。そういったことからも、オーストラリアで初めてアジア学を導入したグリフィス大学を選びました。また、留学先の気候が年間300日以上快晴というところにもひかれました。天候は幸福度に関わるので。

Q:この留学で目標にしていたことはありますか?

A:英語力をいかに伸ばすことを一番の目標にしていましたが、留学して1〜2ヶ月経った頃、「英語力が付くのは付随的なものであって、まず留学をいかに楽しみ、学んでいくか。そのプラスアルファとして英語力が付いてくるんだ」と思いました。留学生活に慣れるにつれて、一生懸命目標に向かって頑張ったり、新しいことを常に見つける気持ちは少し薄れてしまうものですが、そこで満足してしまわないように意識していました。

Q:留学先のブリスベンの印象は?

A:空港を出て、息を吸った時「空気が南国だ!」と思ったことを、今でも鮮明に覚えています。その瞬間「この街が好きになる」と感じました。その後、街に着いた時は、想像以上に都会だったのでびっくりしました。

Q:グリフィス大学のキャンパスの印象はいかがでしたか?

A:「森だ〜!」と思いました。森の中にキャンパスがあって、寮もあって。私は山やアウトドアが好きなので、良い環境だなぁと思いました。日本の大学ではあり得ないくらい広くて、芝生やベンチも多く、海外の大学に来たことを実感できました。

Q:寮生活について教えてください。

A:寮生活は24時間誰かと一緒にいることなので、大変なこともありましたが、楽しいこともありました。すぐ近くに異国の友人がたくさんいて、時には夜中までお酒を飲んだり、語り合ったりすることが時間を気にせずできたのは寮のメリットでした。逆に苦労したのは、いろんな国の学生が集まるので、掃除など、マナーやルールの点で衝突したことはありました。

Q:英語研修期間に心がけていたことはありますか?

A:留学前は英語に全く自信が無くて、現地に着いてからも周りには自分より英語ができる学生がたくさんいて「恥ずかしいな」と感じる時もありました。でも、恥ずかしい気持ちを捨て、クラスで一番多く発言すること、一番熱心にやることを常に心がけていました。

Q:学部授業で、特に印象に残っていることは?

A:アジア学を専攻したので、授業のほとんどがアジアのことや、アジアのグローバリゼーションについての内容でした。その中で、オーストラリアと日本の違い(例えば資源を持つ国と持たない国)を勉強した時、必ず教授やクラスメートが「日本はすごい。日本は他国にはないものを持っているし、国民は親切で、これから先もっともっと伸びていく」と、どの授業でも言われました。そのことを誇りに思ったし、海外の人たちからそういう風に思われてるんだと、身が引き締まる思いでした。

Q:クラスメートに留学生は多かったですか?

A:学部授業ではオーストラリア人が半数以上で、残りは留学生でした。中国人や南米やアフリカからの学生もいて、世界がぎゅっと凝縮されたようなクラスでした。

Q:語学の壁での劣等感を感じたことはありますか?

A:その場でパッと意見が言えず、くやしいなと思うことが多々ありました。でも、それを言い訳にしてはいけないと思って、他でカバーする工夫をしました。例えば、誰よりも自習をしっかりして(時には指定されていない文献を読むなど)、必ず自分なりの意見を持って授業に臨むようにしました。そうすると、英語ができなくても「面白いこと言ってるな」と思ってもらえて、「扶未子これどう思う?」と、話を投げかけられることが増えました。

Q:学部授業で苦労したことは?

A:オーストラリアと比べると、日本の大学では自分の意見を出す場所が圧倒的に少ないのだと思います。留学して初めて「私の意見って何かからのコピーが多かったな」と気づきました。「キミはどう考える?」っていうのが授業の基本なので、まずはそこに慣れることから始まりました。自分なりの意見を持つためにしっかり勉強をし、文献を読み込み、ニュースも見ました。自分の意見を持つっていうのはこんなに大変なのかと思いましたが、社会に出た時に、自分で考える力はにどこにいっても役に立つと思っています。

Q:勉強以外に取り組んだことは?

A:東日本大震災のボランティア経験がきっかけで、オーストラリアで震災の写真展を開きました。被災地で支援してもらったのに、それに対するリターンができていないと感じ、写真展という形で復興の様子を伝えることにしたのです。 英語で交渉して場所を借りたり、お金を集めるというプロセスはすべて英語で行い、オーストラリアや他国の人たちに、日本の震災に関心を持ってもらうためにチラシも作成しました。日本でやるのとはわけがちがって、時間もかかりましたし、苦労しました。

Q:インターンシップ先はどんなところでしたか?

A:クイーンズランド州内で、アートやミュージックのイベントを開催しているNPOで働きました。留学のきっかけだった「外から日本を見たい」という目的にも合っていたし、さまざまな異文化が1つに集まるというところが非常におもしろいと思ったんです。異文化を尊重し、共存しているオーストラリアを体現しているようなNPOだったので、関心を持ちました。

Q:そこで学んだことは?

A:マルチカルチャーを促進しているNPOだけあって、そこで働いている人たちもマルチカルチャーでした。肌の色も違うし、出身国もバラバラ。その中で自分の意見を出しながら調和していくというコミュニケーションの取り方を深く学んだ経験でした。

Q:留学全体を通して身に付いた力とは?

A:どこの国でも生きていける英語力と自信が付きました。もうひとつはチャレンジ精神です。これまで、自分は日本っていう国の環境や言葉に守られて生きてきたということを外に出て初めて自覚しました。留学して1、2か月は、言葉もしっかり話せないし、ギャグも言えないというすごく惨めな思いを経験しました。その時に初めて「自分はこれまで日本っていう環境に守られていたんだ」と感じたのです。そうすると怖いものは何もなくなり「強気でいくぞ」と開き直ることができました。「恥をおそれない」「できないことを言い訳にしない」。そういったチャレンジ精神がこの留学で身に付きました。

Q:今振り返って、橋本さんにとって今回の留学にはどんな意味があったと思いますか?

A:私にとっての留学は「自分を裸にすること」だと思います。今までの価値観をすべてひきはがされて、そこから自分というものをもう一度、新たに作り直すチャンスだと思っています。

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