IBPプログラム・ワシントン大学コース

「ナウ・オア・ネバー」の精神で高校の英語教師を辞して、IBPに参加

留学期間:1999年8月〜2001年3月
留学先:IBPプログラム・ワシントン大学コース
インターン先:Pacific Software Publishing

1949年生まれ、広島県出身。同志社大学大学院修士課程(文学部英文学科)を卒業後、広島県の公立高校英語科教諭として勤務。その後、IBPに参加してシアトルに留学。現在は塾経営と、ボランティアで通訳などを行っている。


ベルビューにあるIT企業でインターン

ワシントン州立大学のキャンパス

レイニア山の麓で乗馬

「フォーク・ライフ・フェスティバル」のインドの古舞踊の会場

卒業式に、インターンでお世話になったPacific Software Publishing, Inc.のLanguage Solution Groupのマネージャーと

Q:教職を辞して留学しようと思ったのはなぜですか。

A:日本の教職現場では英語のALTとティーム・ティーチングを行ない、英会話学校などで講師の人たちと交流するうち、海外研修でもっと勉強したいと思うようになりました。1年以上の長期研修は学校現場では無理なので、退職するしかないという事情もありますが、学生のころからずっと考えていたことだったので、仕事をやめても実行する価値はあると思い「ナウ・オア・ネバー」の精神で行くことにしました。

Q:IBPを選んだ理由は?

A:「先送りしてきた学生時代からの留学計画を実行する」「数週間といった短期でなく、少なくとも1年以上というまとまった長期ステイとする」「多民族・多言語の社会で広く言語活動と自分の職業について見直す」。IBPのプログラムは、これらの私の要求を満たしていました。コンパクトでintensive courseであり、カリキュラムの中でUSの企業インターンシップもできるので、参加を決定。専門が英語の教育職であれば、海外留学研修はよく行われていて当然かもしれません。日本の教育現場ではPC使用頻度が高く、いっそUSの大学やIT企業で直に学び、体験してみようと思いました。

Q:留学して感じた日本の学校との違いは?

A:IBPのプログラム自体がintensive courseということもあるのか、宿題が多くてへとへとになり、金曜日はThank God itユs Friday!を毎週文字通り体感。授業を欠席すると、すぐわからなくなりそうでした。物理的な勉強量でいうと、私の日本での学生時代はもっと呑気だったかもしれません。授業の内容については、USの方では学生サイドのとてもpracticalな活動が多かったように思います。「自分から話さなければずっと放っておかれます」と先生によく言われたこともあり、発言の回数も多くなりました。アメリカ社会とはよくしゃべるアグレシブな文化習慣なのでしょうか? これは慣れるしかないのかもしれません。

Q:特に印象的だった授業は?

A:各授業に共通して言えるのは、プレゼンテーションがとても多かったことです。しかも、スピーチをサポートする何か具体的に見せる材料を準備する必要があり、そのための提示装置が少なからず効果をあげるということです。コンピュータとパワーポントとプロジェクターの組み合わせは欠かせないもので、立体的な授業という印象がしました。先生の指示でその日の放課後すぐ街へ出て何かの宿題をすることはよくありました。例えば、あるデパートの周囲のショーウインドウをぐるりとひと廻りして、そこの広告の写真や文章を写し取ってレポートにまとめるとか、会社を選んで取材にまわる、というようなことです。とても大変でしたが、それなりに収穫はあったように思います。

Q:インターンはどこで体験しましたか?

A:シアトルの隣町ベルビューにあり、マイクロソフトの敷地に隣接しているPacific Software Publishing, Inc.というIT企業です。業態はコンピュータのソフトウェア開発、オンライン販売、ビジネス用インターネット・サービスで、Dreamersiというインターネットのweb hosting service、Language Solution Group(略LSG)オンラインの自社開発の商品も含めWindows及びMacintosh用のソフトウェア販売、Macintosh用のゲーム部門、そしてデータ・センターに分かれていました。また、英語版のソフトウェアの日本語版への翻訳と変換を行うLocalizationを早くから手掛けており、日本語と英語の学習者用のネットワークとして、Japanese OnlineというHPも運営しています。
私の仕事内容は、Language Solution Groupというソフトウエアのオンライン販売とマーケティングを担当する部門の手伝いでした。この部門のスタッフはマネージャー、グラフィックス作成を含むウェブデザイン担当者、そして私の3人です。私は、マーケティング資料収集、英語ページの翻訳、ウェブページのアップデートの一部が主な業務でした。

Q:このインターン体験で得たものはどんなことでしたか?

A:マーケティング用の準備リサーチとして、アメリカ国内の大学で日本語科を設置している所をピックアップして表にまとめる作業を行いましたが、これはとても興味をかきたてるものでおもしろかったです。ホームページ作成自体にかかわるコンピュータ技術のスキルも身に付きました。インターンに入るまでに、大学内の自分用ページ、大学の授業で作成したホームステッド(現在もあります)のページ、そして別のホームページ作成講座でのものと、3種類で練習し、ある程度の慣らしをしていました。いろんな所で腕試しに自分のホームページを作ってみたのは役立ったと思います。また、シアトルの「ジャングルシティ」の運営者にもコンタクトを取って、話を聞いたりもしました。

Q:インターン以外に何かボランティアをしましたか?

A:IBPのガイダンスで「学生生活に欠かせないものとして、学校の授業と同じくらいボランティア活動は大事」だと説明を受けました。USでの就職活動の時、大学でボランティアをしたことが考慮されるそうです。アメリカ社会の伝統だといっていいものです。授業中、ボランティア活動のリストが配られたので、すぐその場で友人とチェックしました。インターネットの専門サイトや大学内の案内でもたくさんあるようです。1人で複数こなす積極的な人もいたようです。
私が取り組んだのは、日米関係で深いつながりがある「桜祭り」という交流会イベントの仕事でした。日本文化体験交流会で、私は「日本=きもの」という着想から、着付けと写真撮影担当をしました。当日は、着物・帯の絵柄選択と組み合わせの相談、着る手順説明、ポラロイドカメラで撮影するという仕事です。来場者はとても多く、民族衣装の「日本のきもの」は、意外とポピュラーなのだと知りました。

Q:留学中の休日の過ごし方は?

A:シアトル近辺のイベントや観光地を見て歩きました。音楽好きなので、音楽関係のイベントにはジャンルを問わず聞きに行きました。シアトルの街は至るところでコンサートが行われ、音楽を楽しむのに場所を選びません。「サマータイム」を吹くあのサキソフォン・プレーヤーと操り人形を見せる芸人はまだいるでしょうか? Uディストリクトのブック・ストアの通りのギタリストも忘れられないです。ボタニカル・ガーデン、レイニア山、オリンピック半島などの観光に出かけては、自分のホームページに写真と記事をアップするのも楽しみでした。

Q:IBP終了から現在までの経緯を教えて下さい。

A:帰国後も英語の専門学校に通ったり、USにコンタクトを取るなど継続性を、持たせる努力をし、留学前にICCに提出した「留学の目的、帰国後のプラン」に書いていた通りの方向に沿って進めました。現在は、塾経営+家事+ボランティア活動+英語研修というコンビネーションです。地元の団体やJAICAを通じての国際交流ボランティア活動も継続しています。

Q:帰国後、留学当時の暮らしが役立っていると思うことはありますか?

A:多言語環境の生活やホームページを作るということは、留学前ほど抵抗がなくなりました。口数も少し増えたかもしれませんし、気まずい無言の時間を埋める工夫とか、対人の距離の取り方などの細かいことも、以前より考えられると思います。さらに、家庭料理をつくることにも抵抗がなくなり、むしろ気分転換になると考えるようにしています。これは大いに役立っているといえます。

Q:留学中の印象深いエピソードがあれば、教えて下さい。

A:ランゲージ・エクスチェンジ・パートナー、つまり、英語を習い日本語を教えるという相互関係を定期的に持つことで、話す習慣が一層定着できたのではないかと思います。2人の人とランゲージ・エクスチェンジをしました。教室の授業ではできないプライベートな部分もかなり話題にするからよけい親近感が増します。2人ともとても耐久力があり、1日中図書館にいても平気という感じだったので、こちらが根をあげそうでした。
もう一つ、ドット・コム・フェアというIT企業合同就職活動の会場を見学できたのは、楽しくワクワクするものでした。MSこそ参加していませんでしたが、アマゾン、アドビをはじめ日本でも知られた有名企業がブースを連ねて熱気にあふれていました。シアトルでは他の所でもコンピュータ関係の人たちに出会うことが多かったです。

Q:今後の展望や将来の夢を教えて下さい。

A:これからも1年とか数か月など、まとまったプログラムで自分に合うものがあれば時間の許す範囲で海外研修に参加してみたいです。日本で学部・大学院まで、そして海外でも学部と大学院を同じ年数くりかえすのは不可能です。自分のIDが日本だというところで活動していこうと考えています。

Q:IBP参加を希望している方々に向けて、アドバイスをお願いします。

A:USに到着してすぐ、コンピュータコースを学んだ人に出会いました。「心配なこともあるけれど、一生懸命やれば周りの人も手伝ってくれるとか、励ましてくれるので頑張れます」と勇気づけてくれました。自分の内面から強い要求を持っていると、多少の困難がある場合でも克服しようと努力すると思います。私の場合は、大学時代、あるいはその前の高校の時からそんなところがあります。あの当時と比べると時代も刻々と変わり、それにつれて英語教育自体も様変わりしてきました。このIBPのプログラムを選んでとても良かったと思います。ひとつのことを最後までやってみると、次のことが見えてくるような気がします。

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