【IBP体験者レポートvol.2】IBPビジネス留学が導いた、マッキンゼー・起業というキャリア。

GRIT創業者 岡田 祥吾さんインタビュー

筆者はIBPビジネス留学を実際に体験した奥岡権人くん。彼の体験レポートを参考に、IBPのイメージを膨らませよう!

こんにちは、IBPの卒業生の奥岡権人twitter@ketokunsanです。

前記事では「留学行ったら人生変わった」みたいなことを書きましたが、最近は忘れかけた英語を学び直すために海外ドラマを見ています。

突然ですが、皆さんは「留学がどのように個人のキャリアに結びつくのか」を考えたことはありますか?なんとなく「留学はした方がいい」と聞いたことはあるけれど、そもそも「卒業後にどういう選択肢があるのか知らないまま」という方も多いかもしれません。

そんな方に向けて、今回はプログラム修了後に新卒でマッキンゼーに入社し、昨年株式会社GRITを創業されたIBP出身の起業家、岡田さんのストーリーをお届けします。

 

岡田 祥吾さんのプロフィール

大阪大学工学部を卒業後、新卒でマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。日本企業の海外進出、 海外企業の日本市場戦略立案等、数々のプロジェクトに従事。 同社を退社後、株式会社GRITを創業。IBPには、2011年の4月から12ヶ月、ベルビューカレッジのプログラムに参加。

 

ビジネス留学」というコンセプトに惹かれ、IBPでの留学を決意

ー軽く自己紹介をお願いします。
2014年に大阪大学の工学部を卒業し、マッキンゼー・アンド・カンパニーに新卒で入社しました。昨年にマッキンゼーを退職し、「真のグローバル人材を育成する」ことをビジョンに、株式会社GRITを創業しました。TOKKUN ENGLISHというビジネス英語特化型のコーチングスクールを主事業としています。

ー新卒でマッキンゼーに入られたんということですが、マッキンゼーは各国のトップタレントしか採用しないことで有名ですよね。留学される前の岡田さんも、もともと優秀な学生だったのでしょうか?
マッキンゼーのイメージは確かにその通りですが、留学前からその採用基準に当てはまる学生ではありませんでした。帰国子女でもなければ、留学を決めたのも「理系だけど研究者にはなれない」という挫折に近い経験からです。

「阪大で情報工学を勉強していた」というと、いわゆる「イケてるIT人材」というイメージでひとくくりにされがちですが、当時の自分は「研究者」というよりは、「勢いのある野球少年」という感じでした。高校まで野球に勤しんでいた自分と、幼少期から英才教育のようにプログラミングを学んできた学生とでは、差がありすぎる。僕は、周りにいる優秀な学生たちとの明らかな差を感じていたんです。

そこで、「研究者の道では食っていけない。だったら、英語ができるビジネスパーソンとしてなら活躍できるかもしれない」と思ったのが留学を考え始めたきっかけです。

2011年は、日本企業や個人のグローバル化の必要性が叫ばれていた時代。自分の強みを活かせるフィールドは愚か、強み自体もわかりませんでしたが、英語が武器になることは確信していました。

ーそこからIBPの留学を決めるまでの経緯を教えていただけますでしょうか?
そんなモヤモヤとした時期に出会ったのが「ビジネス留学」をコンセプトとするIBPでした。今と変わらず、3ヶ月の語学研修と6ヶ月の学部授業と3ヶ月のインターンシップというプログラムで、英語のハードルも高すぎない。

自分はもともと英語が得意だったわけではありませんが、活躍の「場」だけ提供してもらえば、実力で帳尻を合わせられるという自信はありました。だから、IBPの中でも、現地のアメリカ人の中で揉まれながら学べる、ベルビューカレッジを選びました。

 

留学で大事なのは、小さな成功体験

ーベルビューカレッジの留学ではどんなことをされていたんですか?
12ヶ月という時間の中で成し遂げられることは、多いようで少ないものです。だから、当時の自分は「英語を身につける」ことに目的を絞っていました。

大きな成功体験となっているのは、英語もままならないまま飛び込んだホステルのインターンですが、それよりも日常の中で英語を使い続けることの方がよっぽど難しい。

実際に行けばわかることですが、現地のアメリカ人と会話を持続させるだけでも、語学的にも心理的にもハードルが高い。だから僕は、授業が終わった後に必ずカフェテリアに行って、男女関係なく知らない外国人に話しかけることを日々の習慣としていました。今思い返せば、ホステルのインターン応募なんて、メールでの応募だし数打ちゃ当たるんです。そこで尻込みせずに応募できたのは、毎日の小さな成功体験から、自信をつけられたからだと思います。

また、英語を伸ばすにあたって日本語を使わないことを決めていましたから、ICCのシアトルオフィスへの相談に訪れたことは一度もありません。これだけ歴史があり、人材が輩出されているということは、機会さえモノにできれば誰でも成功体験を作れると言うこと。背水の陣ではありませんが、全て自分の責任で留学体験を作り上げることを信条にしていたからこそ、本気の12ヶ月を駆け抜けられたのだと思います。

 

「3年後に起業できるか」を基準にマッキンゼーへ新卒入社

ー外資コンサルは、就職活動でも「最難関」と言われる業界ですよね。就職活動はどのような軸で企業を決めていらしたんですか?
「3年後に起業するために、身につく経験ができるかどうか」を企業選びの軸に、外資系コンサルティングファームと投資銀行を志望して、最終的にはマッキンゼーに入社を決めました。

外資コンサルでも尻込みせずに受ける気になったことが、留学で得られた一定の成果の現れかもしれません。まさに、IBPで英語力を徹底的に磨いた経験が自信を後押ししていたのだと思います。

いま思えばもっと色んな選択肢があったかと思いますが、どの道にせよ、3年後には起業していたと思います。大事なのは、どんな道だったとしても決断を正解にしていくこと。IBPにしたのも英語を学ぶという目標を達成するための手段だし、マッキンゼーも起業のための手段です。決断が正しかったかはわからないけれど、それを正解にする気概があれば、どんなことでも本気で打ち込めるのではないでしょうか。

 

マッキンゼーの2年間を経て、IBPの卒業生と起業

ー新卒3年目で起業するのは、なかなか勇気がいることだと思います。何か後押ししてくれる大きなきっかけがあったんですか?
もちろん学ぶことはまだまだたくさんありました。でも、「3年後に起業する」ことを目標としていたので、最低限必要となるスキルやマインドセットが身についた時点で、マッキンゼーの退職を決めました。

また、ちょうど同じタイミングで、偶然、同じベルビューカレッジに44期として留学した山碕に再会したんです。彼は大学を卒業後、リクルートで入社し活躍していたのですが、彼も同じことを考えていたんです。もう、話しているその場で起業することを決めました。もともと学生時代に「一緒に起業しよう」という約束をしましたが、その瞬間、描いていた夢物語が一気に現実になったんです。これからも、「真のグローバル人材を育成する」というビジョンに突き進むつもりです。

ー留学中の約束が「起業」という形で実現したなんて、とても運命的ですね。他にも、IBPのネットワーク等が起業のサポートになった、といったことはございましたか?
IBPで出会った人が起業を後押ししてくれたのも事実です。共同創業者の山碕もIBPの卒業生ですが、僕の経営の師匠もIBPの卒業生です。2014年の「IBPの大同窓会」で出会って以来、彼とは様々なことで相談させていただく関係になりました。

プログラムの内容だけでなく、そのコミュニティに集まる人のレベルがとても高いこともIBPの魅力です。今でも、自分の会社にIBPの同期を採用したいと思うほど、優秀な人材が集まっています。

ー最後に学生にメッセージをお願いします
言わずもがな、IBPがなかったら起業という道はなかったと思います。英語を学んでいなかったら、今の自分の会社の事業内容にはならなかったと思いますし、就職活動でも、マッキンゼーや外資コンサルが選択肢として入らなかったと思います。共同創業者や経営の師匠に出会ったのも、IBPのコミュニティです。

今、迷っている学生がいらっしゃるのであれば、まずは応募してはいかがでしょうか。

 

取材後記

期間を決めて、定められた目標に対して今の自分を”正解”にする。スティーブ・ジョブズの”Connecting the dots”ではありませんが、IBPの留学・マッキンゼーという、キャリアにおける点と点を結んだ先での起業だったと思います。

日本企業の多くがグローバル化の必要性に迫られていますが、逆に言うなら、「英語ができる人」にとってはキャリアの選択肢を広げる大きなチャンスです。

岡田さんのGRITでは、学生のインターンも募集中だそうです。個人的には、留学をするまでの間を岡田さんのGRITでインターンをし、その後に留学するという経験は「グローバル人材」への道を一気に推し進めてくれるのではないでしょうか。

それでは、また次回をお楽しみに!