出版社に就職が決定!
グローバルに活躍できる記者になりたいです

参加コース:ニュージーランド高校卒業留学プログラム
留学期間:2003年4月〜2005年10月
留学先:オツモエタイ・カレッジ(ニュ−ジーランド・タウランガ)

1988年生まれ、大阪府出身。中学卒業直後の2003年4月からニュージーランド・タウランガにあるOtumoetai Collegeに留学。卒業後は帰国して、龍谷大学国際文化学部に入学。現在大学4年生で、出版社に就職内定している。

学校の「インターナショナルフードフェスティバル」で、演歌を披露しました!

ボールパーティの様子

マウントマンガヌイからの風景

オークランドの街

タウランガの港

留学時代の私

Q:高校留学を決めた理由、きっかけは?

A:15歳で留学をしましたが、当時お世話になっていた家庭教師の先生が「お前、英語の成績いいから、海外の学校にでも行ったら」と冗談交じりで言ったのがはじまりでした。確かに当時英語が好きで、海外の生活や文化にも興味がありました。若いうちから広い世界に触れ、将来活躍できるような人物になりたいと思い、留学を決意しました。ニュージーランドに決めたのは比較的治安もよく、物価も安くて、自然に囲まれた環境が魅力的だったからです。

Q:滞在先のタウランガはどんな街でしたか?

A:タウランガは、ニュージーランドの中でも特に気候的に恵まれた街。夏は暑すぎず、冬は寒すぎないといった過ごしやすい環境で、週末は必ず散歩に出かけていました。豊かな自然の中にある一方、大きなショッピングセンターなどもあり、生活に不自由はほとんどありませんでした。自然好きの私にとっては、近くに海や、山があったことも幸いでした。

Q:留学した高校について教えてください。

A:私が通っていたオツモエタイ高校は、長い歴史の中で、多くの留学生を受け入れてきました。そのため、留学生への受け入れ制度が充実しており、授業選択の相談や、個人的な悩みの相談にも乗ってくださる先生方がたくさんおられました。留学生の人数は50〜60人ほどで、アジアやヨーロッパ、南アメリカなど、世界10ヵ国以上からの留学生が通っていました。その中で日本人は8人程度。世界各国からの留学生と交流できたことも、オツモエタイ高校の良いところだと思います。高校で知り合った留学生とは、現在でも交流があります。

Q:語学力アップのためにどんな努力をしましたか?

A:はじめは語彙力を向上させるため、授業で習った単語を辞書で調べて、単語帳に何度も書き写しました。しかし、現地で生活するには会話が重要であることに気づき、自分から積極的にホストファミリーや学校の友達、先生に話しかけるよう努力しました。また、聞き取りの練習のためにテレビやラジオを聴いて、普段から英語に慣れておくよう心がけました。学力だけではなく、学習意欲を持つことが最も重要であると思います。

Q:英語力が伸びたことを実感できたのはどんな時でしたか?

A:留学2ヵ月目に、電話の受け答えがひと通りできていたことに自分でも驚きました。半年過ぎた頃には、相手の言っていることがわかるようになっていました。しかし、本当に英語力が伸びたことを実感したのは、むしろ一時帰国で日本へ帰った時だったと思います。日本の家族に英語で伝えようとしたり、英語で考えごとをしていたりと、日常生活で自分が英語に慣れ親しんでいるということがわかりました。

Q:好きな科目は何でしたか?

A:個人的に好きだった科目は地理。内容よりも、先生や受講している生徒たちがとてもフレンドリーだったからです。授業の中で、日本のことが度々取り上げられ、先生や生徒が私に質問をしてきたりと、自分を話題にしてくれることが多かったです。

Q:日本の学校と違うと思ったところは?

A:体育の授業では、日本のようなジェンダーや年齢の差がなく、男女混合ラグビー大会や、12年生対13年生の鬼ごっこなど、誰もが楽しく参加できました。留学生が多いので、私がいた最後の年に、学内で初めて「インターナショナルフードフェスティバル」が開かれました。各国の出しものがあって、私が日本の演歌を歌ったことが一番の思い出です。

Q:どんな風に友達を作りましたか?

A:いきなり現地の友達を作ることは難しいと思ったので、最初は、我々と文化的に近いアジアの留学生の友達を作るようにしました。お互い留学生という立場なので、友達になるのは容易でした。ニュージーランドに長期滞在している留学生は、現地の学生との交流に慣れていたため、彼らを通じてニュージーランド人の友達の輪を広げていきました。自分から現地の友人を作る時は、同じ授業を受講している人にわからないことを質問して自分をアピール。それからは学校で私を見かける度に話しかけてくれ、フレンドリーに接してくれました。

Q:放課後や週末はどうやって過ごしていましたか?

A:宿題がない時には友達と街へ遊びに行ったり、友達の家に遊びに行ったりしていました。それ以外は宿題を早めに済ませ、ホストファミリーとの時間を大切にしました。最後の年は受験を控えていたため、帰宅するとすぐに論文の練習や英語の勉強をしていました。それでもホストファミリーと一緒にテレビを見たり、会話をする時間は大切にしていました。週末もやはり、友達と街へ遊びに行ったり、散歩に出かけたり、ホストファミリーと映画を見に行ったりしました。

Q:部活動など、勉強以外でがんばったことはありますか?

A:留学2年目に地域のテニス同好会に入り、1年間、毎週土曜日に通っていました。初心者であったため、ベテランの会員に基礎から教えてもらい、半年後には、その人とチームを組んで試合をしました。活動が終わった後には、会員の人たちとお茶を飲みながら会話を楽しみました。こういったところでも現地の人たちと交流ができて良かったと思います。
また、音楽が好きなので、現地でギターを購入して暇がある時に練習していました。帰国する際の送別会では、友達と一緒にギターを弾きながら歌を披露し、皆に喜んでもらえてとても嬉しかったです。

Q:ホームステイや学校で、印象的だったできごとは?

A:やはり、現地で支えてくれた多くの人たちです。テスト前にも関わらず、授業の内容を十分に理解できずに困り果てていた時、私の姿を見て心配した先生が「誰かノートを貸してあげてくれないか」とクラスの生徒たちに伝えました。すると、クラスの友達は快く引き受けてくれ、それ以降は授業でも生徒たちが私を気遣ってくれるようになりました。
ホームステイ先では、文化の壁や言葉の壁に苦しみながら、ホストファミリーの前で泣き出してしまったこともありましたが、ホストファミリーは「あなたは家族なんだから、辛いことがあったら、私たちに言いなさい」と言ってくれました。今でもメールや電話で連絡を取り合っていますが、いつも私を気遣ってくれます。

Q:高校留学によって自分が変わったと思うのは、どんな点ですか?

A:自分の意見をしっかりと持ち、はっきりと主張できるようになったことです。留学中は、自分の意見や考えを持ち、それを伝えなければならない環境であったため、留学以前に比べて他人に対して、「イエス」「ノー」をはっきり伝えられるようになりました。
また留学したことによって「積極性」と「打たれ強さ」が身に付きました。留学先では積極的に行動しなければ、誰ともコミュニケーションを図ることができません。帰国後は、その積極性を武器に、大学内で多くの友達を作ってきました。留学中にはさまざまな困難があり、何度も挫折しましたが、自分で決めた道を突き進んでいくことの大切さを学び、3年間の留学を終えることができたのだと思います。

Q:大学進学に際し、高校留学は有利でしたか?

A:もちろん有利です。私の大学の学部(龍谷大学国際文化学部)には、海外帰国生枠の特別入試があり、論文と面接で入学できました。ただし、大学にもよるとは思いますが、大学側が求めていることは英語力だけではありません。大学によっては、英語力よりも日本語の文章力を求めるところもあります。いずれにしても、自分が留学先でどんな経験をし、何を学んだのかをしっかりと伝えられるよう準備しておく必要があります。これは、後々の就職活動でも同じことです。

Q:日本の大学に入学し、留学経験が活かせていると感じるのはどんな時ですか?

A:入学後、すぐにクラス分けのための英語能力試験を受けましたが、トップのクラスに入ることができました。先ほども述べたように、留学経験で培った積極性で多くの友達、特に留学生の友達を増やすことができた時も、留学経験が活かせたと思いました。
留学という広い視野で世界を見てからは、探究心や好奇心が強くなり、今年の2月には卒業論文の研究のためにベトナムへ行ってきました。このように、研究のために遠出も厭わないことも、留学経験を活かせているのではないでしょうか。

Q:出版社に内定が決まったそうですね。就職活動の際、高校留学経験をどのようにアピールしましたか?

A:就職内定先は、国際通信社グループという月刊誌の発行や書籍の出版、日本語教育・福祉教育など、多事業を展開する企業です。私はその中で、出版事業部への配属が決定しています。
面接で「弊社での仕事は精神的に苦しいことありますが、大丈夫ですか?」と問われたのですが、「留学した3年間、挫折や孤独、時には屈辱を味わうこともありましたが、それを乗り越えました。これから社会人として多くの障害が待ち受けているでしょうが、あの時に自分ががんばったこと、乗り越えられてきたことを思えば、かならず御社でもやっていけるはずです」と答えました。面接官は私の熱意を信じて、その場で採用を決定してくださいました。

Q:仕事への意気込みと、将来の夢を教えて下さい。

A:すでに内定先のインターンシップで九州出張へ行きましたが、同行した先輩社員はとても情熱的で、魅力のある人でした。入社後は社会人として情熱を持って働き、誰かの心に影響を与えられるようになりたいと考えています。下積み時代はカメラマンがメインの仕事です。自分のやるべき仕事をきちんと理解し、それを実行して、早く記者になれるようにがんばりたいです。幸い内定先の企業は海外との交流、特にアジア進出を重視しており、私も大学時代はアジアが専門だったので、将来的には留学経験を活かして、グローバルに活躍ができる人物になりたいというのが、私の夢です。

Q:これから高校留学を目指す人たちへ、アドバイスをお願いします

A:留学期間は長いように思えますが、行ってみればあっという間に過ぎてしまいます。私も今になって「もっと勉強していればよかった。もっと遊んでいればよかった」と、後悔することがあります。皆さんはそういった後悔のないように十分勉強し、十分遊んで、留学を楽しんできてください。そして、留学の主な目的は語学の習得であるということも常に意識してほしいと思います。これは当たり前であるがゆえに、つい忘れてしまいがちなことです。日本人だからといって、日本人のグループばかりと一緒にいては、せっかくの留学も意味がありません。毎日きちんと英語に触れるよう心がけ、難しいかもしれませんが、現地の人たちとの交流の輪を広げていってください。それを心がければ、自然と英語は身につき、自分の英語力にも自信がついていることでしょう。
留学を通じて学べることは語学力だけではりません。その国の人たちの生活、歴史や文化、考え方など、日本にはない良い部分がきっとあるはずです。それを見つけるためには、自分がそれを学ぼうとする強い意志を持たなければいけません。現在、本気で留学を考えている皆さんも、どうか自分が留学をする目的を今から探してください。そうすれば必ず、有意義な留学生活を送ることができるでしょう。

■担当カウンセラーからのコメント

今年になってから就職活動中にラジオ大阪国際交流委員会オフィス近くまで来たのでと顔をだしてくれました。その後、出版会社に内定をもらったという報告をまたオフィスまで来てくれて話をしてくれた時は私も本当に嬉しかったです。

私が初めて智邦くんにお会いしたのは、智邦くんが中学3年生の夏休みでした。中学を卒業したら高校留学をしたいこと、留学目的やニュージーランドでチャレンジしてみたいことを熱く語ってくれたことを今でも覚えています。そのときから礼儀正しく、家族想いの学生さんでした。
留学中に智邦くんの成長を感じたのは、大学受験の為に一時帰国をしたときでした。
面接の練習を何度も根気強くし、模擬面接では自分の考えをしっかり持って意見をはっきりと語ってくれました。15歳で親元を離れ留学し大変なことも自力で乗り越え、精神的にも成長されたと思います。自信が顔に出ていました。
今度は世界で活躍をされる智邦くんにお会い出来るのを楽しみに待っています。

大阪オフィス
山下奈穂