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<体験談> IBPプログラム


原 亜弥さん

留学期間:
1997年9月〜1998年9月
IBP17期生:
英国ウェストミンスター大学
インターン先:
News Digest International
プロフール:
1997年9月、慶応義塾大学商学部を一年間休学し、英国にてIBPプログラムに参加。News Digest International(ローカル新聞社)でのインターンシップ中には、記事の翻訳に加えて自分で特集を組んだことも。帰国後慶応大学3年次に復学し、現在は就職活動中。

 「マスコミ」というと、こう、電話がガンガン鳴って、人の出入りも激しくて、そういったイメージを持たれがちだが、実際は非常に静か。皆、デスクに向かってもくもくと仕事をしている。少なくとも、私がインターンをさせていただいていた、英国ニュースダイジェスト社では。
 編集長以下、3名の編集室。二階には他に、デザインチームと広告担当チームのそれぞれの部屋があり、一階は経理と印刷所。社長と印刷工以外は、日本人。この会社から週に一度発行される「英国ニュースダイジェスト」は、イギリス在住日本人のための貴重な日本語メディアのひとつ。定期購読のほかに、ピカデリーサーカスのジャパンセンターにて無料で配られる日には、日本人留学生が大挙して押し寄せる。それほどイギリスの日本人ソサエティーに深く浸透している新聞である。
 朝10時に出勤し、まずやる事は、自分の紅茶をいれること。それから、朝刊4紙(インディペンデント、ガーディアン、Financial Times、朝日新聞衛星版)の一面をチェックし、時間があれば、つまり編集長がまだ来ていなければ、それらの気になる記事をゆっくりと読む。
 記事を担当している時はその推敲を重ね、そうでない時は「ハラさーん、今日はこの記事をお願いします。」という編集長の声を待つ。ニュース記事の翻訳である。どんなに長い記事でも、13字×20行に仕上げる。
 情報の取捨選択は私に任されているわけだ。英語の記事と日本語の記事とでは、基本の書き方が決定的に違う。時系列の物語調である英文に対し、日本語の記事は最近の事が先に来て、時間をさかのぼって説明が来る。しかも、日本語の記事は、リードと呼ばれる冒頭の部分で、「いつどこで何がどうした」が一目で分からなければならない。さらに、記事特有のこなれた表現が必要とされる。英文が透けて見えるような日本語では失格なのだ。翻訳を始めた初期の頃、実際記事に仕上がってくるものが、校正記者の手によってかなり直されていた。自分が捨てたはずの情報が拾われている時などは、ショックでさえあった。英語がネイティブレベルの編集長でさえ、まず英文をすべて直訳し、それから構成を考え、時間をかけて丁寧に日本語の記事を作り上げることを知り、自分も初心に戻って翻訳に取り組む事にした。毎日1本のペースで一ヶ月かかって、やっと記事らしくなってきた。
 昼休みは自分の好きなときに1時間とる。昼食にはたいてい、持参のサンドウィッチを食べコーヒーを飲むか、近所のベトナム料理屋で米のヌードルの焼きうどんをテイクアウトする。AERAを読みながら、ゆっくりする。自分で記事を書くようになると、雑誌の読み方も変わってくるものだ?
 午後、翻訳の続きを済ませ、自分の記事に取りかかる。「私達のメディアに役割があるとすれば、それはイギリスのメディアと日本のメディアのギャップを埋める事。」この編集長の言葉に感銘を受け、イエローモンキー来英に伴うイギリスメディアの反応をきっかけに、自分自身で特集を組んだ企画が、「黄猿をめぐる冒険またはハードロックワンダーランド」。その他、Vデー(日本軍による英国人捕虜問題)、留学フェスティバル、岩井俊二監督インタビューなどの取材を経験し、それぞれ良い勉強になった。自分の名前入りの記事というのは嬉しい反面、どっと責任を感じる。ゆえにやり甲斐のある仕事だ。読者から感想や質問の電話をもらう時もある。
 午後6時退社。夏なのでまだまだ明るい。寮に帰ってからはICCのメンバーと"How was your day?"とおしゃべりしたり、あとは仕事のことは一切忘れてリラックス。近所のパブも混み始める。ロンドンで映画等の記者向けのプレミアショーを月曜に行うと、さっぱり人が集まらないらしい。それは、記者であろうと、土日はしっかり休んでいて、月曜日は仕事が溜まっているから。それでも、イギリス経済は回っている。やはり、日本人、働きすぎじゃないかい?

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