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<体験談> IBPプログラム


北村 君江さん

留学期間:
1997年9月〜1998年9月
IBP17期生:
英国ウェストミンスター大学
インターン先:
Planet Syndication
プロフール:
1996年4月〜1997年8月、化学品専門商社人事部にて給与計算など人事総務、一般事務を経験。同年9月IBPプログラム参加のため渡英。インターンシップでは、Planet Syndication(プレス・エージェンシー)で日本への記事配信を担当。帰国後、外資系広告代理店を経て、1999年4月より法律事務所へ再転職。

 英語研修、学部聴講の後は、IBPプログラムの総仕上の約2ヵ月間のインターンシップでした。私の勤務先はプラネット・シンジケーション。英語がオリジナルの雑誌・新聞記事を世界各国の雑誌・新聞に販売するプレス・エージェンシーです。私の担当は日本の雑誌へのセールスで、朝9時の出勤から2時間ほどは、毎日日本への電話セールスにあてていました。時差の関係で、イギリス時間の11時を過ぎると、日本へ電話をしても意味がなくなってしまいます。ですので、一日のうちで朝が一番緊張しました。それ以降の時間は、ファックスで記事見本を送ったり、売り込む記事をよく読んでふさわしい雑誌を選んだり…それが私に任された仕事でした。大学卒業後に勤めた会社では人事課に配属されたため、営業という仕事自体が初めて。電話での売り込みにも最初のうちは苦労しました。ろくに会話ができないうちに、「あ、うちはいいです」なんて電話を切られてしまい、辛い思いも何度かしました。でも、私が英語を勉強したのは、そもそも放送通訳者をめざしてのこと。マスコミの仕事にも興味があった私にとって、映画・テレビ関係の記事を中心に扱うプラネット・シンジケーションの仕事は、最初に聞いたときから興味を持ち、やりたいと思っていました。電話を一方的に切られる辛さもなんとか乗り越えて、話を聞いてもらうためのコツも少しずつ見えてきたので、インターンシップの後半は、仕事がずいぶん楽しくなりました。
 プラネット・シンジケーションは私を含めて総勢7人の小さな会社。オフィスはロンドン南部郊外の住宅地にありました。社長の自宅の一部がオフィスになっているので、とてもアットホームでフレンドリーな雰囲気。スタッフ同士助け合って仕事をしていこうという姿勢もはっきりしています。私が黙々とデスクに向かってばかりいると、だれかが声を掛けてきては、「もっとコミュニケーションしなくちゃ」と言われることも。最初は、「わからないことはなんでも聞いて」と言われても、いったい何を聞いていいのかすらわからず、じっと黙っていたら仕事を教えてくれているスタッフに叱られることもあった私ですが、徐々に雰囲気に慣れてきて、何かあったらすぐに質問するように。こうして、こんなこと聞いたら恥ずかしいんじゃないかしら…というためらいは、私からすっかり消えていきました。
 オフィスで、私がなによりも驚いたことは、社長がみんなに「お茶飲む?」と聞いて回ってお茶を入れてくれることでした。そういうことは新人の自分の仕事では…と思って立ち上がっても、「いいから、いいから」と言われてしまう。とくに小さな会社の場合、こういうことはイギリスではよくあることなのですが、私にはとても新鮮なことでした。
 インターンシップの3分の2が終わろうとしている頃、いまだに一本の記事も売ることができず、焦りが募りました。毎日かける日本の電話代やファックス代はばかにならないのに全く利益を上げていないという状況は、たとえ無償のインターンシップといっても、肩身の狭い思いでした。売り上げを出して、せめてプラスマイナスゼロにして終わりたいと願っていました。最後の2週間に立て続けに3本の記事を売ることができ、その上、社長に「日本に帰ってから個人エージェントとして仕事を続けてくれないか」とまでいわれた時は嬉しかったです。現在、私は外資系広告代理店で働きながら放送通訳の学校に通っています。そして、この4月からは、法律事務所にて秘書として働き始めます。この事務所は海外とも活発に取引を行なっているようで、翻訳の仕事にも大いに携わっていけそうです。法律の世界は私にとって初めてですが、時事問題の知識がどんどん広がるのではと、将来的に通訳として働きたい私は、たいへんやりがいを感じています。

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