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<体験談> 語学留学フリープラン

「留学は自分自身を見つめ直すための充電期間」
●吉田 裕美(よしだ ひろみ)さん
<留学先>
 Shafston International College/ブリスベン
<留学期間>
 2003年5月〜2004年1月

人生の休息地として一路オーストラリアへ

看護師として就職して5年、経験や知識は増え自信へとつながっていきましたが、心のどこかで1〜2年目の頃の情熱は冷めてきてしまっていることに気づいていました。「このままでは自分が駄目になってしまう」そう思い、思い切ってまったく違う環境に身を置き、自分を見つめ直してみようと語学留学を決心しました。「さあ、これからどこへ行こう」と考えた時、まずは気候が1年を通して温暖である場所が第一条件でした。外にどんどん出て行くことができる環境が欲しかったのです。その条件の中で行き着いたのがブリスベンの語学学校でした。

私が通ったShafstonは、先生も若く和気あいあいとしていて、とてもフレンドリーな環境でした。ただ、周辺にはとても厳しい指導で生徒もみんな真剣に勉強している学校もあったので、事前に全期間決めないで、何ヶ所か学校を変えてみても良かったかなとは思いました。

ブリスベンは期待通りの理想的な住環境

これは誰もが感じることかもしれませんが、慣れない土地で本当に大切なのは友達ですよね。私の場合、最初にできた友達は同じクラスの人たちでした。お互い英語力も同じくらいだから、一緒に勉強できて心強かったですよ。留学前は「せっかく留学するのだから、できるだけ日本人の子とは一緒にいるのはよそう」と思っていたのですが、慣れない場所で協力していくことはとても大切で、行ったばかりの頃はだいぶ助けてもらいました。
ブリスベンの周りには娯楽スポットがいっぱいあって、イベントも多く、当初の期待通りでした。そして何より治安の良さや日本食が手に入るかが重要なポイントでしたが、幸い、ブリスベン市内にチャイナタウンがあったのは本当に助かった!長期滞在する時はやっぱり食事って大きいです。ブリスベンはその条件も満たしていて、暮らしやすい街だったと思います。

学生寮、ホーム&ファームステイと様々な滞在先を経験

滞在先は最初、学校の寮で台湾の子と相部屋でした。最初は良かったのですが、日本人はやっぱり清潔で几帳面なんでしょうね、国民性の違いからか何かと大変でしたよ。途中で病気になって、病院に行ったこともあったくらいです。当時の私は「家=ゆっくりとくつろげる環境」が必要だったにも関わらず、すぐには寮を出ることができませんでした。事前に長期契約をしてしまうと変更ができなかったり、もしくは多くお金を払うことになったりする場合があるのです。確かに全てを決めてから渡航した方が安心できますが、現地に行ってからはじめて分かることがかなり多いため、自分の生活スタイルを柔軟に変えられる様にしておいた方が良いと思います。今振り返っても、寮での生活を我慢して続けたことは唯一の失敗でしたね。

そんな事情があり、後半はホームステイにしたのですが、現地にいるため色々と情報が手に入り、自力で自分に合った環境を探すことができました。ホームステイに移ってから、初めて留学をエンジョイできたように思います。シングルマザーの家庭にホームステイしたのですが、ホストと一緒に食事を作ったり、買い物に行ったりとホント毎日が充実していました。ホストマザーの誕生日には家族や友人がたくさん集まり、その時に作った寿司(太巻き)も大好評でした。

帰国前の頃になると、学生ビザから観光ビザに切り替えて、牧場に1ヶ月間ファームステイをしました。乗馬を毎日教えてもらったり、牧場の仕事を手伝ったりと、かなり貴重な体験ができました。その後ダイビングのライセンスも取りに行きました。その他、フィジーに立ち寄ってから帰国したりと自分で旅行のプランを考えるのも勉強になって楽しかったです。その場その場で友達ができるので、ひとり旅でも色んなことができました。8ヶ月の留学でしたが、ホントにたくさんの人生経験ができたと思います。

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