No.4「鯨のはなし」(2001/8/9)


NZの首相は日本の漁業連盟に向けて、「NZは国家として捕鯨を断固反対する。」と声明を発表した。
事の成りゆきは、IWC (International Whaling Commission) の次期選挙に向けて、日本の漁業連盟が、太平洋の第三世界の国々にワイロを握らせ、リサ−チ用の捕鯨を引き続き認める協力を要請した。という事であり、これは絶対に許しがたい行為であると、そして次のIWCの選挙では絶対に反対姿勢である。と言ったのだ。日本側はこれはあくまでも経済協力であり、選挙での日本の捕鯨をサポートする事を要請するものではないと言っている。

こうなるともうNew Zealand人は止められない。
あんな高度な能力を持つほ乳類を、捕獲し食べるなんて非常識だ。世界中の国が反対しているのに、何故捕鯨を続ける理由があるのだ? 日本は鯨を食べなくても他に食料を買う事ができるだけのお金を持っているではないか。他の食料になる動物はと殺するのに一瞬の苦しみもないが、鯨は捕獲しと殺するまで(なかなか息が止まらないので)、非常に長時間の苦しみを味わう。可哀想だ。可愛い動物なのに。。。例え海が鯨だけになったとしても捕獲してはならない。感情論でしかないわけだ。この際何故捕鯨ししてはいけないのかという科学的理由と根拠はない。可哀想だという理由しかないのである。そして、何年も前の日本での沖にあがったイルカの群れを漁民がこん棒で殴っている映像を何度も何度もくり返しニュースで放映したりする。

話は変わるが、先日、ある田舎の牧場で知人が「拾ってきた犬」を紹介してくれた。この犬はピッグハンティングドッグという犬で、野生の野豚をハンティングする為に訓練された犬である。その犬は大人し過ぎる性格ゆえ、野豚を狩猟する為の役に立たないので、飼い主がドラム缶に入れて射殺したのだ。が、玉が貫通して生きていたのを、通りがかりの知人が拾って獣医につれて行き、自分で飼う事にしたそうだ。もとの持ち主は決して犬嫌いではないのそうだ。(知人はそのもとの飼い主を知っている)

また、こんな話しもある。
人の家敷地内に泥棒に入った人をそこの家の飼い犬が噛み、「人を噛んだ犬は処分しなければならない」という法律に基づいて、裁判所は飼い主に飼い犬の処分を促したという例もある。犬の飼い主は自宅に泥棒に入られ、自分の飼い犬を処分しなければならなかった。

西洋社会は人間が一つの生命として生きる為に、馬を飼い足とし、犬を飼い訓練をし食料を狩猟して生きて来た。そして、牛から乳をしぼりバターやミルクを作る。鳥を飼い卵を捕獲し卵を生まなく成った鳥を食べる。そして馬を使って畑を耕し小麦を作りパンを焼いた。

日本の農耕民族は自分で畑を耕し、米を作り醤油と味噌を作った。山で山菜を採り海や河で魚を捕った。犬を飼ったがそれはポチと言い、いいおじいさんの家でだけ裏の畑で庭を掘った。

肉食獣は目が顔の正面についているのは周知の通りだ。獲物を正面から狙う為だ。草食動物はそこに育成するものを食べる。その際敵に狙われない為に目が顔の両側についており、視野が広いので危険を察知する能力に長けている。どうりで私の目は顔の両はじに付いている訳だ。

食料や動物に対する考え方は、だれが正しいという訳でもないだろう。長い歴史とその国の風土と暮らし方がそこに住む人々の食料調達や動物に対する考え方を育成する。経済や情報がからみ、非常に複雑化された世界の中で、人や国の約束や決めごとが行われる。日本もその顔の両はじに付いた目で、広い視野と優れた察知能力を駆使し、60億の人類の住む地球での役割と責任を認識する時代が来ているのかもしれない。


フローレンス@NZ
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