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No.11「偉いもの事情」(2002/2/22)
子供の頃、ステレオは相当偉いものだった。ラジカセ、ステレオ、などは、子供が所持するには誕生日のプレゼントとして数年前から親に拝み倒すか、お年玉をためるか、それでも更に所持の有無は、家族会議にかけられ呆気無く却下されたりするものだったように思う。ましてや、テレビなどを自分で所持するなんて事は恐れ多い事で、自分の電話を持つなどというものは、偉いもの筆頭横綱級だった。私の子供時代が特別貧乏であった訳ではないと思うのだが、おおかた庶民の日本人はそんな子供時代を過ごしたのではないだろうか?
大きくなると、偉いものは外車、洋酒、洋楽などと外国ものに信仰が移行した。高度成長期の日本は、優秀な電化製品を次々につくり出し、それが国民に行き渡ると、今度は外国ものに価値を見い出すようになったような気がする。(昔からの金持ちは、舶来ものを沢山所持していたに違いないがここでは庶民の人々の話しである)父親のレミ−・マルタンはサイドボードの奥底の飾り物であって、決して飲むものではなく、何だか触ると叱られるものだった気がする。
現在の日本の子供達にとって偉いものは何なのだろうか? スーパーファミコン、携帯電話、パソコン、鍵のかかる自分の部屋。少し成長すると、ブランド物の衣服や装飾品など。そして海外旅行。彼らにとってもはや手に入らぬものなどこの世に存在しないに違いない。
ここニュージーランドには、免税店を除いて唯一の海外ブランドの店はルイ・ヴィトンである。この店が始めてオープンした時にニュージーランドの人々はそのサインをルイ・ヴィトンと発音できるのはごく少数に限られていた。現在では世界的なヨットレースのスポンサーであるこの店の名前の認知度は随分と国民に行き渡ったと思う。
日本製の最新式のMDプレーヤーや極小の携帯電話などは、まだまだ子供達の憧れである。日本で流行した車は5年後に中古車として大量にNZに渡ってくる。日本の流行は5年後にNZに入荷されるというシステムだ。携帯電話を短期で使い捨てする事も、テレビやビデオやコンピューターを新型のモデルが出たからと買い替える人もいない。日本とは所得が異なるのだからといえば仕方がないが、国民の生活はきわめて質素である。日本車の新車を購入するなんて事は、相当偉い事だ。
そんな小国に、大量の日本人観光客が流行りのエコツーリズムなどと称しやってく
る。自然に優しい旅行は、飛行機で大量に燃料として燃やされるオイルにはこの際目をつぶるのだろう。ニュージーランドのワインを新世界ワインと呼び、日本に輸入し偉いもの好きの人々が、ワイングラスをぐるぐるまわしウンチクを語ったりしている。狂牛病発生率の最も低いと世界評価されるこの島国のスキヤキ肉が、日本国民の食卓に一斉に並ぶ日もそう遠くないに違いない。
不思議なものだ。
フローレンス@NZ
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