VOICES 修了生の声
コースで探す
キャリアで探す
インターン先で探す
検索
キャリア、ビジネス、IBPがよくわかる「GLOBAL INSIGHT」
ビジネス留学情報ブログ「GLOBAL VISION」
1999年
中島(ラック)理加
RIKA RAKU
出身校:東京外語専門学校
コース:ワシントン大学
キャリア:社会人
留学期間:1998年3月〜1999年3月
インターン先:Seattle’s Best Coffee(流通・食品)
茨城県出身。東京外語専門学校卒業。社会経験を積み、退職してワシントン大学に留学。Seattle’s Best Coffeeの経理でインターン。帰国後、大手外資系証券会社の人事部に勤務。数年後、インテリアデザインを学ぶために再度渡米。ご主人が経営するソフトウェア会社の人事、マーケティングなどを担当するかたわら、シアトルでインテリアデザインの会社を設立。

不安に負けずに留学にチャレンジし、人生の選択に沢山の扉を増やせた

ボランティアで働いていたチームと一緒に、Seattle Pride Paradeに参加。

私をいつも支えてくれたホストファミリー。今でも家族のように大切にしてもらってます。

IBPの夏休みに、友人とアイダホまでロードトリップ。

IBP同期のMidori(一番右)とYuko(一番左)が、2006年の私の挙式に来てくれました。ウェディングドレスは、Midoriが着たドレスをYukoが借りて着て、そして3代目が私。3人ともアメリカに残っているので、毎年、感謝祭の季節に女子会してます。

インテリアデザイン会社を起業。お客さまの個性を引き出せるような空間作りに励んでいます。

IBPプログラムを選んだ理由を教えてください。

プログラマーを2年、その後、人事・総務・経理畑で5年間働いたのですが、その分野で実際に英語力を活かせるポジションにつきたくて、沢山の会社に応募しましたが、力不足で、思い描いたポジションにはつけませんでした。そんな時、高校時代からの親友が、「理加は高校の時からずーっと、海外留学して海外の大学を卒業したいって言ってたよね、その自分が一番したいと思っていた拠点に戻ってみたら?」その言葉に、はっとしたのを覚えてます。引き出しの奥に大切にしまっておいたIBPプログラムのチラシを再度読み返して、「国際ビジネスを体感しながら、インターンシップで身につけた英語力を試すことができる」という内容に、これしかない!と思いました。

留学前はどんな準備をしましたか?

TOEICもTOEFLのスコアもかなり低く、IBPの担当カウンセラーの方を悩ませました(笑)。留学直前まで働いていたので、時間が取れる限り、通勤電車の中で、ランチブレーク中に、夜、そして週末と、英語力を強化できるよう集中的に勉強しました。

留学先にアメリカ、シアトルを選択した理由を教えてください。

シアトルの写真を見ていて、とても緑が多かったので、田舎育ちの私は親近感を覚えました。留学中に、ワシントン州内のハイキングトレイルに何度か友達と出かけたのがきっかけで、大自然と恋に落ちました!ワシントン州内には数え切れないくらいのトレイルがあるので、ハイキングやアウトドアが好きな方には、パラダイスみたいな場所です。今では夫婦で、年間に30本ほど長距離(10Km~18Km)のハイキングに出ています。現在、シアトル情報サイトのジャングルシティーさんで、ワシントン州のお勧めトレイル紹介のコラムを書かせて頂いてます。ワシントン州の大自然の壮大さを、沢山の人達に経験してもらえたらなと思ってます。

キャンパス内の設備など、大学の環境についてどう思われましたか?

私が通ったワシントン大学のキャンパスの感想は、キャンパス内の広さと緑の多さにびっくりさせられました。クラスから次のクラスへの移動だけで、迷子になりそうでした。ハイキングクラブや、イベントに参加した際に出会った学部生の方々のほとんどが、アルバイトやフルタイムの仕事をしながら学費と生活費を自分で稼いで大学に通い、睡眠時間もギリギリで猛勉強している姿に脱帽でした。大学生と言っても、年齢層もバラバラで、何歳になっても大学に戻り勉強できる環境に、私の中で眠っていた何かが、沸々とわいてくるのを感じました。IBPプログラム終了後、いつの日か貯金をためてシアトルに戻って実際に大学を卒業したいという気持ちで一杯になりました。

英語研修はどのような内容でしたか?

IBPプログラムのカリキュラムに、とても助けられました。初めは、とてもベーシックな内容からスタートしてくれたので、少しづつ英語力を高めて行けました。後半は企業で役立つようなプレゼンテーションの仕方、コミュニケーションで生じがちなミスを減らす方法、ディベートの仕方、初対面の人達と気軽に会話をはじめてビジネスの本題に持っていくコツなどを学べて、とても助かりました。

授業で印象に残っていることはありますか?

大学の授業は、教授の講義中でも学生がランダムに発言したり質問したりするので、授業にとても活気を感じました。同時に、物事を自分で分析して、独自の意見をロジカルに英語で発言できるようになるまでは、大失敗を何度も繰り返し、クラス中を何度も爆笑させました。教授やクラスメートに、積極的に色々と質問すれば、とても協力的に助けてくれました。グループプロジェクトやクラスディスカッション、また色んなケーススタディを通して、自分と全く違うキャリアや経験の人達とも出会え、情報交換ができた所が面白かったです。自分の授業以外でも、キャンパス内に張られているチラシを元に、パネルディスカッションやアートや建築家の講義などが、色んなキャンパス内の建物の中で無料で行われていたので、立ち寄ってました。ソーシャルワーカープログラムを受講していた学部生の友人が、彼女のグループスタディに参加させてくれたり、時には、「日本はこういうホームレスのシェルター問題はどうしてる?」というような質問を振られたりと、色んなことを考えさせられました。このソーシャルワーカープログラムの人達のケーススタディで、彼女達が、パイオニアスクエアーエリアでホームレスの人達の状況を把握できるように、ホームレスになって一泊ベンチの下やビルの狭間などで過ごした経験話しを話し合っているのを聞き、大学の授業のリサーチは、こんなことまでするのか!?と驚嘆させられました。ビジネス専攻分野が違うと、使う英単語が全く違ってくることも、とても勉強になりました。

特に興味を持って取り組んだ課外活動やアクティビティはありますか?

ボランティア活動は、シアトルに到着する前から、すぐにでも始めようと思っていたので、シアトルに到着して、すぐChicken Soup Brigade(CSB: 現在はLife Long Aids Allianceの一部となりました)というHIV/AIDSを抱えてる人たち、重い病気で生活に助けが必要な人たちを援助するNPOでボランティア活動を1年に渡りしました。CSBの古着屋さんでのキャッシャーや、ボランティア&トレーニングオフィスなどでオリエンテーションを開くお手伝いをしたり、イベントに必要な看板やTシャツをメインオフィスでデザインしたり、シアトルPride ParadeにもIBPのクラスメートを率いて参加したり、時間が空けばボランティア活動に励みました。この活動を通して数え切れない人達に出会い、大学の中だけでは学べない、果てしなく大切なことを学ぶことができと思います。英語力も、ボランティアを始めてから確実に伸びていくのを実感しました。正直な所、ボランティアをして人助けをしたというよりも、私自身が沢山の人達に助けられた気分でした。アメリカで生活をする上で、足りなかった知識や文化、宗教、社会問題の違い、そして人々の温かさを学んだ気がします。そして、アメリカという国について、また国外から見た日本について、新たな観点で物事を見始めるきっかけになりました。日本がいかに、このHIV/AIDSを抱えている人たちへのサポートや周りの人達の接触の仕方という面で、教育や情報が行き届いてないか実感しました。現在も時間が空いた時は、主人と一緒にイーストサイドの食べ物をデリバリーするボランティアを入れています。このNPOを通して出会った何人かの方々は、生涯を通して私のベストフレンドです

インターンシップ先について教えてください。

Seattle’s Best Coffeeの経理部でインターンシップをさせて頂きました。

そこではどんな仕事を担当しましたか?

経理部署内で私を監督してくれた方は二人。初めの2~3日はファイル棚の整理だけだったので、このままだったらビジネスは学べないなと思い、スーパーバイザーの方にお願いして「経理部全体がどのように動いてるか見れるようなお仕事をさせて下さい」とお願いしてみました。「コンフィデンシャルな情報が多い部署なので難しいけれど、それに触れないエリアで経験させてくれる」ということで、その後は、小切手を発行し郵送し、郵送されてきたチェックのコピーや必要書類などをファイリングしたり、バランスを確認したり、スーパーバイザーにレポートを提出したりなど、部署内の流れが見えるお仕事をさせて頂きました。時にはオフィスのカフェテリアで会ったインターナショナルマーケティング部の方が経理課の方に許可を取ってくれて、マーケティングのミーティングに呼んでくれたり、色んな種類のコーヒーやコーヒーの中に入れるフレーバーのテースティングなどさせてくれました。毎日「今日はどんな経験ができるんだろう?」と、ワクワクしながら通勤したのを覚えてます。オフィスの方々が、とにかくフレンドリーで、週末もパーティーやイベントに呼んでくれて、まさに「無礼講」という言葉がぴったりのオフィススタッフでした。

インターン中、苦労したことは?

小切手の取り扱いがあったため、会社名のスペルミスなどをすると大変なことになるので、担当取引先の会社名をデスクに張って、全て覚えるのが大変でした。またインターンの時間とボランティア先と、学校のクラスと、ホストファミリーと過ごすための時間を調整するのに、一苦労しました。平日のインターン後に、ボランティア先で週に3~4日ほど仕事を入れていて、ボランティアが無い日は夜のクラスを取っていたので、家に帰る時間にはホストファミリーの子供達はもうすでにベットに入っており、夕食を一緒に食べる時間が取るのが難しかったです。ホストファミリーと相談して、週に何日かは予定を確認しあい一緒に夕食を食べれる日を見つけるようにしました。現在でもホストファミリーとは、近所に住んでいて、家族のような存在です。当時、9ヶ月だった女の子(Madi)はもうすぐ大学生、3歳だった男の子(Ryan)は、現在、東海岸にあるUS Naval Academyで勉強中です。

IBPプログラムでの経験は、コミュニケーション能力の向上にどのように活かされましたか?

IBPプログラムでの経験は、コミュニケーション能力の向上だけでなく、その他、数限りない人生経験を私に与えてくれました。あんなに沢山の、失敗と成功、泣き笑いを繰り返した1年は、後にも先にも初めてです。留学を通して培った英語でのコミュニケーションという一つのツールが、私の次のキャリアと人生をスタートするために、不可欠なものでした。

社会人としての留学に対して不安はありましたか?

もちろん、不安で一杯でした。背水の陣を敷いた状態で留学に出ました。IBPプログラムから帰国するころには、貯金も全て使い果たし、職なし一文無しで、30歳を迎え日本に帰国して、一体何ができるんだろう?と不安の固まりでした。同時に、英語をツールとして使えるようになったら、「あれもしてみたい、これもしてみたい」という夢も大きく膨らんでいきました。「今、ここで行かなかったら一生行けない、行かなかったら、絶対に後で後悔するに違いない」と思い、決めました。あのとき、自分で作り上げた将来の大きな見えない不安の壁に、負けなくて良かったです。

留学をふりかえり、自分自身が変わったと思うところはありますか?

根本的な性格は変わったとは思いませんが、留学をきっかけに、自分の人生の選択に沢山の扉を増やせたと思います。アメリカで出会った友人達やホストファミリーを見て、仕事のキャリアだけでなく、自分に本当に合った環境と生活の選択を望むようになりました。「私はどんな生き方をしたら幸せなんだろう?」「周りの人と自分を比べることなく、社会の柵に囚われず、自分の生き方とは何だろう?」と、毎日自分に質問するようになりました。自分に嘘をつかず、自分を見失わないように、リスクがある選択でも、着実に私にとっての「幸せ」に近づける方向で、物事を選択するようになったと思います。

社会人として退職しIBPに参加しましたが、就職活動はどのようにしましたか?

契約社員でも正社員のポジションでも、自分のキャリアや経験が応募条件に沿わなくても「この仕事をしてみたい!」と思えた内容全てに応募してみました。同時に、派遣会社にも登録して、幾つか紹介された中で、一番興味をそそられた仕事内容が、外資系金融証券会社の人事部の中途採用担当のポジションでした。インタビュー後、3ヶ月の契約を頂きました。同時に、日本のインターネット、テレコミュニケーションである大手の正社員のオファーを頂いたのですが、仕事内容を比べてみたら、どうしても外資系証券会社のポジションの内容の方が面白いと感じたので、正社員のポジションをお断りして、3ヶ月の派遣契約を優先しました。お仕事をスタートしてみて、海外の有名大学を卒業してる方々や、MBAをもっている社員の方々がバリバリ働く、英語が飛び交うオフィス内に感動しました。3ヶ月の派遣の終了日に、正社員のオファーを頂いたときは、嬉しくて涙が止まりませんでした。

就職活動や留学後の職場で留学が役だったと感じたことを教えてください。

帰国後のTOEICのスコアが、留学前と比べるとびっくりするほどアップしたのに、自分でも信じられなかったです。履歴書に堂々とスコアを記入することができたのが嬉しかったです。以前は履歴書を郵送しても、全く返答がなかったけれど、留学後は色んな会社からインタビューに呼ばれるようになり、留学が役立ったと実感しました。

主人の会社のスタッフミーティングは、裏庭で行うようにしています。

現在は何をされていらっしゃいますか?

IBPプログラムから、すでに16年が経ちました。IBPプログラム終了後に就職した、東京の外資系金融証券会社で5年働いて、「シアトルの大学に戻りたい」と退職願いを出した時は、さすがに同僚全員に止められましたが、それでも「私らしく生きたい」と心に決め、退職後に渡米しました。その後、以前のキャリアとは全く違う、インテリアデザイン科を大学で専攻しインターンを途中で初め、卒業後も、その会社でインテリアデザイナーとして勤めました。現在は、シアトルでインテリアデザインの会社(R2 Interior Design LLC)を設立し、16年前のIBPの学生時代とは、また別の壁と新しいことへのチャレンジに取り組んでいます。まだまだ私一人の小さな会社ですが、お客さま、お一人おひとりのライフスタイルを活かし、お客さまの個性を引き出せるような空間作りができるよう、励んでいます。同時に、主人の経営する日本語を教えるソフトウェア会社の人事採用、プロジェクトマネージメント、マーケティングビデオや写真の撮影と編集、ソフトウェアの声優などもしているので、「なんでも屋」です(笑)。この日本語を教えるソフトウェアの声優がきっかけで、シアトルのSwedish Hospitalのラジオコマーシャルの声優も担当させて頂き、面白い経験をさせて頂きました。 自分の会社と、主人の会社の仕事に使う、時間の割り振りと、頭の切り変えが、とてもチャレンジです。時々、どこかの企業に戻った方が、気苦労が減るのでは?と思うこともありますが、主人も私も自宅がオフィスなので、通勤ラッシュはないし、晴れた日には、ミーティングさえ入っていなければ、昼間に山登りに出かけたり、ランチブレークに近所の山の上でランチしたりして、夜に仕事をまわしたりと、フレキシビリティーさが私達の特権です。山の頂上で、ホットココアを飲みながら、壮大で静寂な雪が被る山々の絶景を目の前にして、主人と二人で、「このアウトドアなライフスタイルが大好きで、このために自分達は働いてるんだ。」と、いつも再確認させられます。将来は、シアトルと日本を行き来できる仕事の体制に持っていけたらいいなと考えてます。

IBP留学を希望している人に向けて、アドバイスをお願いします。

私にとってのIBP留学はお金には変えられない経験でした。今振り返ってみると、あの経験が私の人生の限りない扉を開け始めてくれたと思います。これから留学を希望している皆さんには、不安に負けず、夢を追ってチャレンジしてほしいです。留学という母国から離れて、沢山の文化や習慣の違う人たちの中で、今まで気づかなかった自分の可能性を発見してほしいです。自分だけの特別な意味ある留学生活を過ごし、今は見えなくても、将来見えてくる沢山の扉を開けてほしいです。

*体験談の内容は寄稿時の情報です。

コースで探す
キャリアで探す
インターン先で探す
検索
キャリア、ビジネス、IBPがよくわかる「GLOBAL INSIGHT」
ビジネス留学情報ブログ「GLOBAL VISION」
留学セミナー開催中
個別相談の予約
LINEで相談
大変恐れ入ります。5月6日まで営業をお休みしております。ご相談をご希望の方はこちらからご予約ください。
ご予約
IBP International Business Professions